ごめん。少し遅くなったかな。
用心して、回り道し過ぎたみたいだ。でも、君ならば、きっと待っていてくれると信じていたよ。
うん。俺の指示の通りだね。窓から遠く、外からは容易にこの席まで目をやることはできそうにないし、そこに誰が座っていたのかなんて見分けることはできないだろう。格好の席だよ。
それじゃァ、改めて自己紹介させてもらおう。俺の名前は、矢車主税。親しい連中からは、主税と呼んでもらっている。多分、君ももうすぐ親しくなるだろうから、主税と呼んでくれて良いよ。
いや、半分は冗談だってば……君は以外とユーモアのセンスが薄いなァ。まァ、それは置いといて、本題に移ろう。君は、あの銀行の中で何を見たんだい? どんな些細な事でも良いから、順を追って、話して聞かせてもらえないだろうか?
ふゥむ……なるほどねェ。よくまァ、あんな銀行にお金を預ける気になったものだ……と、それは置いといて、大金庫の鍵は銀行が管理していないという点と、貸金庫の鍵が合わずに使うことができなかった……というのは、何とも珍妙な話だねェ。
それにしても……君の話を疑うつもりではないのだけれども、俄には信じられない話だよ。特に、大金庫の鍵を銀行が管理していないなんて……よくそれで銀行業が務まるものだと思うよ。
ん? 貸金庫の鍵の件? どういうことだい?
誰かが本物の鍵と偽物の鍵を擦り代えたと?
しかし、その行員が分からなかったということは、本物にとても良く似せられた偽物ということになるンじゃないかな? それができるということは内部の人間を疑うということになるわけで……それは調べるにしても、方法を選ばなければならない話になるだろうしねェ。
でも、確かに、思いもよらないことなのかもしれない。貸金庫の鍵をすり替えることに特別の意味がなければ、普通は起きない事件だろうからねェ。
他に、君が気になったことは、何かあるかい?
貸金庫の鍵が開かなかった理由だって? それは……なるほど。見方によっては、確かに……大きな問題となるのかもしれない。
つまり、君はこう言いたいわけだ……貸金庫の鍵がすり替えられていたのは、貸金庫の中身を確認させないため……言い換えれば、これを行った犯人の目的は、貸金庫の中身が目的で、それを盗むために、貸金庫の鍵の偽物を用意したのではないかと? でも、それが目的だったとしたら、あの銀行の貸金庫には、相応の価値のある品物が収められいた事になる。
貸金庫の中身なんて、行員だって知らないのが普通だろう。
犯行の動機がそれであれば、その中身を知ることができる人物に限って犯意が認められることになる……あるいは、知り得ることが出来た人物が怪しいとでも言うべきなのか?
ふむ。君は見た目よりも随分と繊細で、想像力が豊かなんだね。ユーモアのセンスとは雲泥の差だと関心するよ。あァ、もう一杯、コーヒーはいかが? もう少し、君の話を聞いてみたいと思う様になってきたよ。
でも、君の想像が正しければ……これは俺の妄想の域を出ない話だけれども、盗まれたのは、その貸金庫に収められていた物なのかもしれない。
もしも、その行員の言っていることが本当とすれば、大金庫に収められている金はそのまま手つかずに残っているとも考えられる。覆面をしたという強盗団の目的は、最初から、その貸金庫の中身で、それはとても価値のあるもので、警察や銀行関係者を含め、それが紛失したことが公になっては困る連中が必至に隠蔽しようとしているのであれば、君の想像は、想像の枠を抜け出て、ありえない話ではなくなるのかもしれない。
でも、そんなに価値のある物なんて……何だと言うンだ? そんな想像を思いつくからには、君には思い当たる節があるのかい?
……満更でもないって顔をしているねェ。
ふゥむ……君もこのご時世に裕福な生活を送るお大臣の一人だとすれば……そんな途方もない価値のある何かを知っているとしても不思議はないのかもしれないねェ。
まァ、今はそこまで君から聞き出そうとは思わないよ。それに、そんな事は俺の依頼された仕事の内容には含まれていないしね。
お、ようやく、お代わりのコーヒーが届いたか。
さて……それじゃァ、約束だから、こちらの持っている情報を教えよう。
君の考えを裏付けることが出来そうな話かもしれないから、そっと君の胸の内にしまっておいて欲しい。特に警察の関係者には他言厳禁で頼むよ。勿論、誰が相手であったとしても、俺が話したということは伏せておいて欲しい。仕事の信用に関わるのでね。君を信頼して話すということを覚えておいて欲しい。
まず最初に、今回の俺の仕事の依頼人は、あの銀行の頭取だ。俺は、その頭取から直接依頼を受けて、あの銀行の内部を探っている。
個人的な感情を抜きにして言えば、不思議な依頼だと思っている。でも、まァ、依頼を受けた以上は、報酬額に応じた調査を行うまでだがね。そういう意味では、君から提供された情報はとても価値があったと思っているよ。
それから、その依頼主……頭取の娘が誘拐されている。これは、犯人とおぼしき人物から身代金の要求があったという話だから、おそらくは本当の事だと思う。悪い勘ぐりをすれば、大金庫から消えたお金が、この娘の身代金に使われた可能性もないわけではないのだけれども……これを追跡することは俺の仕事には含まれていない。強盗団を捕まえて、事件の真相を明らかにするのは警察の仕事だ。俺が出る幕じゃあない。
最後に、身代金の支払いに応じたのか……それとも、支払ったにも関わらずの結果なのかは分からないが、娘はまだ帰ってきてはいない。これは頭取の家で働いている使用人からの話だから事実なのだと思う。
これが、俺が提供できる情報のすべてだ。教えてもらった情報に見合うものだと思うけれども、後は君の判断次第だ。
君がもっと別の情報を教えてくれるというのなら、俺の方でも、もう少し話すことができるかもしれないが……それは今教えてもらった事を調査してからの方が良さそうだ。
お互い、この件を追いかけている限り、また顔を合わせる機会もあるだろうしね。
それじゃァ、また会えることを信じて。
あァ、ここの支払いは俺がしておくから、君は先に帰ってくれないか。
いや、別に用事があるわけじゃァないんだけれども、ちょっとした用心という奴さ。用心はいくらしても足りるということがないと思っている。だから、仕事の話が舞い込んで来るし、お陰で生活できている。そういうことさ。
あ、それから……もしも、もしも、誰かの紹介とかで、他人と一緒に外で会う機会があったなら、俺と君とは初対面ということで話を合わせて欲しい。まァ、これも用心って奴さ。
この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、機関、施設等とは一切関係ありません。肩を張らずに読める読み物としてお楽しみください。
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