このページでは、almaarea.com(以下「アルマエリア」といいます)の管理人が気になった単語について説明した用語集の中から「ドラマチック」についての解説を試みています。
「ドラマチック」以外にも、アルマエリアの説明や内容について、意味の分かり難い言葉がありましたら、Helpページ内の用語集をお試しいただければ幸いです。
ドラマチックとは
ドラマチック(Dramatic)は、劇的な、劇の様な出来事を意味する形容詞で、ギリシャ語の行為を意味するDramaticと同じアルファベットで表記されます。
また、名詞にあたるドラマ(Drama)には、戯曲、台本、劇作品、芝居などの意味の他に、効果がずば抜けて激しいこと(例:劇的な性質)や、劇のような現実離れした出来事と説明されます。
そして、almaarea.com(アルマエリア)は、日常の生活をドラマチックに演出することを目的として公開しているウェブサイトです。
そこで、アルマエリアの公開目的であり、到達目標でもあるドラマチックについて考えてみたいと思います。
ドラマチックと劇の関係
ドラマチック(Dramatic)な状態とは、物事が過激であると同時に、それが感動的で、見る者の心を引きつけて放さない状態をいうのだと思います。
そして、そのような状態を劇と呼び、それを客観的に捉えた表現が、劇的という言葉を生んだと考えています。
これが劇のような、劇的な……という表現のはじまりと考えるわけです。
一方、劇とは、舞台で行う演目や、演技を指す言葉です。
その際、この劇という言葉は、結末や内容によって、喜劇と悲劇に大別されます。
喜劇は、その名の通り喜びの劇です。見るものを惹き付けて、感動させると同時に、笑いの感情を与えてくれます。
これに対して悲劇は、見るものを惹き付け感動させる点は喜劇と同じですが、その内容は冷酷で、聴衆から感動の拍手で迎えられながらも、涙を誘うほどの悲しみを見る者に感じさせる劇です。
この二つは感動という共通した要素を持ち、喜怒哀楽のまったく正反対の感情を見る者に投げかけます。
もしも、劇的な……という表現をそのままドラマチックに置き換えるのであれば、感動の物語という意味が強くなるでしょう。
しかし、だからといって、これでドラマチックのすべてを説明できたとは思えません。
ドラマチックには、もっと別の要素があるように思います。
非現実という要素
ドラマチック……すなわち、劇的なことが、どうして、こうも人々の心を魅了するのか? それはドラマチックという言葉には、現実では到底起こりえないような、普通では成立する可能性の低い出来事を題材にして組み立てられた物語という要素が秘められているからだと思います。
「ドラマの様な出来事が起きた」
と聞くと、嘘のような出来事が起きた……と感じるのは、そのためではないでしょうか?
劇的なことは非日常の出来事で、それ故に見る人の感動を誘うのではないでしょうか?
そして、劇的な出来事とは、物語として完結している必要があるように私は感じています。
その理由は、感動の仕組みと後日談の必要性にあると考えています。
完結の必要性
冒頭で劇について触れましたが、喜劇も悲劇も、物語として完結している必要があります。
言い換えれば、完結していない物語は喜劇なのか悲劇なのか分かりません。
これは有名は話なのかもしれませんが、聴衆にとって喜劇と感じる物語は、主人公にとって悲劇であると言います。もちろん、聴衆にとって悲劇と感じる物語は登場人物にとって喜劇である……というわけです。
しかし、終わって見なければ……物語が結末を迎えてみるまでは、登場人物と主人公の関係は解決しません。もしかしたら、最後に大どんでん返しが待っていて、幸福と思われた未来から、一瞬のうちに暗闇に突き落とされてしまうかもしれませんし、最後の最後になって、救いの手が差し伸ばされて、すべて良い結果を迎えるかもしれないからです。
したがって、劇的な出来事には、必ず終わりがあるのだと考えています。そして、一端、終わっているにも関わらず、その続きの話が用意されている場合もあります。それが、後日談です。
思うに、聴衆がもっとも感動し、それを劇として受け入れるのは、この結末を迎えた瞬間なのではないでしょか?
私には、そう思えて仕方ありません。
そう考えると、ドラマチックとは感動の結末がある出来事のことを言うのだと感じます。
劇の視点から見るドラマチック
しかし、これでも、まだドラマチックのすべてを表現しているとは言えないのかもしれません。
なぜなら、劇とは台本にしたがって作られる架空の物語だからです。
見方を替えれば、結末までの道のりが予定されている出来事と言えるのかもしれません。
始まりから終わりに至るまで、すべてが結末に用意された感動を迎えるためだけに存在し、その一つ一つの出来事が、結末を形作るための部品として、それだけのために用意されたものです。
もしかしたら、結末を辿るまでに、どうしても都合のつかなった部分には、嘘の要素が使われて、結末まで無事に辿り着けるようにしていることもあるでしょう。私は、そのような嘘を総称して、虚構(Fiction)と呼んでいます。
虚構(Fiction)は、劇の根幹にある普遍的な要素だと思っています。劇は、台本にしたがって作られるわけですから、台本に書かれた嘘のような話は、何もかもがすべて虚構(Fiction)として、劇の中での上での本当の出来事として成立します。
しかし、だからこそ、私たちは安心して劇の内容に集中することができるし、楽しむことができるのだと思います。
つまり、私たちは、それが嘘かもしれないし、本当のことかもしれない……と思いながら、誰かによって作られた仮想の現実を目の当たりにして、感動しているのです。
それはまるで、手品の様な不思議さと、サーカスのような緊張感が同居する場所であり、複雑に仕組まれたトリックを解き明かす探偵のような気持ちを沸き起こさせます。
その嘘のようであり、実は本当の話こそが、ドラマチックの正体なのではないでしょうか? そう思えてなりません。
ドラマチックとは嘘に聞こえる本当の話
嘘のような本当の話です。
それが現実になったとき、ドラマチックという言葉になるというわけです。
誰しもが憧れる出来事であったり、あるいは誰も望まないにも関わらず、数奇な運命を感じさせる不遇な環境を伝える話かもしれません。
しかし、その話を聞いた人は、きっと感動を覚える……それが、ドラマチックなのだと思います。
almaarea.comの目指すドラマチック
もしも夢が叶うとしたら、それは素晴らしいことなのではないでしょうか?
人生という舞台の上では、誰もが自分が選んだ役割を演じながら、幾重にも分幕された場面の中で生きているように感じます。
本当の自分とは異なる様々な自分を演じわけることで、決して楽ではない人生を歩んで行けるのだと思います。困難な時には強い自分を演じながら、愛しい人の前では甘えんぼの自分を演じながら、そして、一つ一つの場面ごとに結末を与えながら、反省し、満足し、後悔しつつ、次の場面へと移って行くのだと思います。
それが、感動という結末を迎えることを信じて、almaarea.comは日常の生活をドラマチックに演出する方法を提案しています。



