このページでは、傍記録という位置づけで、自己の失敗から学んだ内容を書き残しています。それは過去の自分の反省であり、未来の自分に対しての戒めです。そのため、少し回りくどい表現になっているかもしれません。
それから、もしもどなたかが私の失敗をもとに成功の方法を見つけてくだされば……と一抹の期待を添えて書き連ねています。
命と生きる関係
2007年10月26日の不幸な事件に心を動かされて、今回は命と生きる関係について持論を交えてながら考えてみたいと思います。
私たちは誰に認められたわけでもなく、まるで当たり前に、今という時間を共有し、そして、生きる痛みを感じながらも、それでも生き続けています。
しかし、一歩でも歩むべき道を踏み外してしまったならば、私たちは驚くほど簡単に最後を迎えるでしょう。それは交通事故かもしれませんし、大震災や、心臓発作、あるいは老衰かもしれません。
その時が来てしまったならば、人はそれを黙って受け入れる他ありません。
残された者はそれを受け入れた上で、生きることを続けなければならないのです。
命の尊さ
命は尊い……とは、よく耳にする言葉だと思います。
それを話す側は、それをなんとか伝えたいと懸命に言葉を紡ぎます。
しかし、生を謳歌する若者にとって、命は在るべきものであり、いつかは必ず失われるとは、なかなか認識できないのかもしれません。
悲しさを感じる心
命をもっとも身近に実感する機会は、肉親との別れです。
肉親の声や温もりに、もう二度と触れることができない事実をもって、否応無しにその事実を感じ、その悲しみから命を実感することになるでしょう。
誰もが迎える意味
人はその時が来るまでに何をしたいと願うのでしょう? それはどんな人生を歩みたいのか? という質問に代えることができるかもしれません。
やがて必ず訪れる時に際して抗えはしないでしょう。だからこそ、生きているうちに、その価値を知る努力をしなければなりません。
親がいるから自分がいる
ならば、それほどまでに貴重な生ある命を与えてくれた親や、その祖父母の事を自分の命と同等に大切に感じるのは不思議なことではないはずです。
生きるということを始めることができたのは、自分に親がいてくれたからなのですから。そして、それと同じように、友人や見ず知らずの他人にも親がいることを思い出さなければならないでしょう。
受け継がれる命の意味
生きるために宿した命。
終焉を迎えても、次の世代へと受け継がれることでしょう。
親から分け与えられた命が、今の自分を生かしてくれているのですから。




